積丹半島・初夏の陣 

初夏は北海道でもっとも爽やかな季節です。積丹では6月にウニ漁が解禁になり、そのおいしさを求めて多くの人が訪れます。今回は原子力文化財団(JAERO)の協力を得て、最高の海鮮料理を求めて、積丹半島をツーリングしました。

絶景と海の幸が楽しめる積丹半島は、北海道有数の観光スポットです。2018年12月に後志自動車道が余市町まで開通し、札幌市内からの所要時間が約20分短縮されました。


「シャコタン」は、アイヌ語の「シャク・コタン」が語源です。その意味は「夏と村」を組み合わせたと言われており、今回のツーリングにピッタリ。テンションが上がり、スロットルを回す手に力が入ります。



数々の伝説が残る「ローソク岩」


国道229号(積丹国道)を走っていると、真っ青な海にたたずむ「ローソク岩(全長45メートル)」が見えてきました。岩質がもろく、昭和10年代の大きな崩落により現在の姿になりました。

積丹は伝説の宝庫です。ローソク岩にも「外国の神様が積丹半島をもぎとって、現在のロシアのアムール川下流域に持ち去ろうとするのを、島の神が積丹半島に大きな縄をかけてローソク岩の根元に結びつけて守った」など、伝説が残されています。


「ニューしゃこたん号」でクルーズ

美しい海を堪能するために、積丹町・美国港から観光船「ニューしゃこたん号」に乗船しました。乗船時間は約40分。天気に恵まれ潮風が心地いい!

美国港のそばにある「宝島」は、上空から見るとハートの形をしていることから「ハートアイランド」と呼ばれています。

昔々、この島には密かに愛し合う2人の若者がいました。乙女は首長の娘チャシナ。しかし、父である首長に知られ、怒りを買った若者は捕らわれの身に。その年、海に魔物が現れてニシンがまったく獲れなくなり、首長は退治した者を娘の婿として迎えるとの触れを出しました。

何人もが命を落とす中、若者は夢のお告げに従って魔物を退治しましたが、首長は約束を守りません。

それを知ったチャシナは、あの世で若者と結ばれようと海に身を投じ、若者も後を追うと、若者が被っていた兜が岩となり、ニシンの大群が押し寄せました。その岩が宝島だといわれているそうです。


しばらくすると、エメラルドグリーンの海が現れます。これぞ「しゃこたんブルー」と形容される美しさ。思わず「ここはニューカレドニアか?」と叫びたくなるような透明度を誇っています。

ニューしゃこたん号の船底に設置された窓から海底をのぞくことができます。黒い点のようなものは「エゾムラサキウニ」です。

一面の岩場を見て「あれ、ウニって昆布などの海藻を食べるんじゃない?」と思った人はするどい。さかなクンに褒めてもらってください。実は「しゃこたんブルー」と「ウニの不漁」は大きく関係しているのです。

積丹では50年ほど前から、魚や貝などの餌となる海藻が育たなくなる「磯焼け」が進んでいます。海藻が生えない海は美しい「しゃこたんブルー」を見せてくれますが、それと引き換えにウニの生産量が不安定になるという課題をもたらしています。

漁業関係者は磯焼け防止や資源枯渇防止のため、様々な工夫を行っています。ウニ漁を6月から8月の3か月のみとしているのもその一つです。また、栄養が足りずに大きく成長しないウニは、漁師によって海藻が茂る海域に放流されているそうです。磯焼けを防ぎながら豊かな藻場を取り戻す対策にも目を向けてほしいですね。


「田村岩太郎商店」で極上のどんぶりをいただく

積丹国道を走っていると、あちこちに「うに丼」のノボリや看板が掲げられています。その数は「うに丼を食べずに、積丹から出られると思うな!」と言わんばかり。中でも「田村岩太郎商店」は、おいしいウニが食べられると評判。開店前から行列ができる人気店です。

田村岩太郎商店のホームページを見ると、「積丹観光のついでにウニを食べるのではなく、岩太郎商店でウニを食べることを目的に来てほしい」と強気。

きっと強面のオヤジさんが仕切っていて、「ブログなんかに書くんじゃねぇ!」と追い返されるかと思いましたが、明るく優しい店長に快く迎えてもらえました。

何を食べるか迷った挙句、「どうせなら美味しいものをいっぺんに味わっちゃえ」と、極丼(きわめどん)を注文しました。最高級Aランクの北海道・びらとり和牛と積丹産エゾムラサキウニが織りなす完璧なセッション。その名の通り食の頂点を極めています。

和牛でウニとご飯を巻いて食べると、口の中は一気にパラダイスになります。濃厚な二つの味が交じり合い、爆発したように旨味が口に広がりました。

この日の価格は「うに丼」5,000円、「極丼」4,500円。仕入れの状況によって価格は異なります。決して安くはありませんが、並んで食べるだけの価値はあると思います。

田村岩太郎商店
住所:北海道積丹郡積丹町美国町船澗132-1
電話:0135-48-6300
営業時間:10:00〜15:00 商品がなくなり次第終了



隧道の向こうに絶景が広がる「島武意海岸」

「島武意海岸」は、アイヌ語の「シュマ・ムイ」(岩の入り江)に由来する景勝地です。明治28(1895)年にニシンを運ぶために手掘りで掘り抜いた隧道は、真っ暗で心霊スポットのよう。それを抜け切ると絶景が待っています。

海の色や海底まで見渡せる透明度に目を見張ります。展望台から浜辺まで階段が続いていますが、段差が大きく足元も悪く、体力のほかに「気合」や「根性」も必要です。降りるよりも上るほうがきついので、後のことも考えたうえでチャレンジしてください。


かつては女人禁制だった航海の難所「神威岬」

日本海に突き出した「神威岬」は、積丹半島最大の見どころです。起伏に富んだ遊歩道「チャレンカの小道」が整備され、しゃこたんブルーの海を眺めながら散策することができます。風が強く天候が変わりやすい神威岬沖は海難事故が多く、海上交通の難所として知られていました。

アイヌの伝説では、和人女性を乗せた船が神威岬沖を通ると海神の怒りを招いて船が遭難し、漁業も不振となると伝えられていました。これを受けて松前藩は1691(元禄4)年から、神威岬に女性が立ち入ることを禁止します。しかし実際のところは、松前藩がニシン漁の利権を守るために伝説を利用して人を寄せ付けないようにしていたとも言われています。

現在は女性も立ち入ることができますが、強風により男女問わず通行止めになることがあります。まさにこの日がそう。エゾカンゾウが遠くで風に揺れていました。


石神神社の謎

積丹町と神恵内村の境で「石神神社」を発見しました。なぜ祀られているのか一切説明がありません。積丹町観光課に由来を伺いました。

遠い昔の話、夫を追ってこの地を訪れた一人の女性が、この石に腰かけて休んでいたところ、突然石が揺れ始めました。驚いた女性が村人に告げたところ、「これはただの石ではない。神の化身だ」という噂がひろがりました。その後もニシンの豊漁などを祈願して漁師たちが「石神様」として崇拝しているそうです。


豪華海鮮が自慢の宿「盃温泉 潮香荘」

本日の最終目的地「盃温泉 潮香荘」に到着しました。指さすところ、漁港を見下ろす高台に位置しています。昭和23年頃に鰊番屋を改造して源泉を引いて湯宿にしたのが潮香荘の始まりで、昭和49(1974)年に盃漁港の入り口から、現在の高台に移転しました。

全室オーシャンビュー。建物は古いですが、客室はきれいにリフォームされています。清掃が行き届き、スタッフの方々の対応も丁寧。夜になると聞こえてくるのは潮騒だけ。何もかも申し分ありません。

盃温泉は、明治38(1905)年に発見されたと言われています。泉質はカルシウム・ナトリウム - 硫酸塩泉で無色・無臭。多くの村民が日帰り入浴を楽しんでいます。

天気が良ければ露天風呂から海に沈む夕日を眺めることができますが、残念ながらこの日は曇り。しかし夜には晴れて頭上に星空が広がりました。沖に輝く灯りはイカ釣り漁船です。漁灯を点灯させ、光に集まるイカを漁獲しています。


夕食が部屋に運ばれました。目の前の漁港で毎朝水揚げされる新鮮な魚介類を使用した料理が提供されています。

白身魚は鮮度が命。魚の美味しさに大きく影響を与えます。特に淡白な味の白身はごまかしが効きません。ここでしか味わうことができない、贅沢なひと時です。

魚介をパイ生地で包んだ珍しい一品が彩を添えています。お客さんを飽きさせない工夫が嬉しいですね。

「今は漁の時期ではない」と言われていたウニも仲間入りしていました。女性スタッフに尋ねると、「よいウニが水揚げされたのでご提供できました」とのこと。

醤油も海苔もいりません。さっそくご飯の上に載せて掻っ込みました。やはりこの食べ方が一番美味しいですね。


盃温泉 潮香荘

住所:北海道古宇郡泊村興志内村220-11
電話:0135-75-2111


旅は出会いと別れの繰り返し


楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。眠りに就けば新しい朝を迎えます。まだ旅を終わらせたくない気持ちを抑えて、潮香荘を後にしました。

道の駅で休憩していると、隣にキッチンカーが停車しました。乗車していたのは元郵便屋のちぃさんと、元ホテルマンのしんやさんご夫婦。キッチンカーで全国を巡りながら各地で出店しているそうです。しばらく立ち話をした後、それぞれの方向に走り出しました。

旅は出会いと別れの連続。またどこかで会いましょう。

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