駅に泊まろう! 函館本線「山線」の旅

2030年度の開業を目指して北海道新幹線札幌延伸の工事が進められています。並行する函館本線・小樽〜長万部(通称:山線)は、新幹線の開業と共にJR北海道の経営から分離され、廃止されることが決定しています(小樽〜余市は協議中)。原子力文化財団(JAERO)の協力を得て、山線沿線を旅しました。



北海道鉄道発祥地から旅をスタート

小樽は「北海道鉄道の発祥地」と呼ばれています。1880年に全国3番目となる鉄道が手宮(小樽)〜札幌間が開通しました。

山線の旅は、小樽駅からスタートします。1903年6月28日に「小樽中央駅」として開業。現駅舎は1934年12月25日に改築されました。2006年3月に小樽駅本屋とプラットホームが国の登録有形文化財に指定されています。


山線に投入されている車両は、旧式のディーゼル車から、ディーゼル・エレクトリック方式(電気式気動車)を採用したH100型(愛称DECMO)に置き換えられています。形式名称のHは、H5系新幹線同様、北海道を意味しています。


乗降客自らボタンを押してドアの開閉を行います。これは不必要な開閉によって車内の温度が損なわれないため。乗客が少ないローカル線らしいシステムです。

小樽駅を出発した列車は約10分で塩谷駅に到着します。1903年6月28日に開業し、地名はアイヌ語の「スヤ(鍋・岩)」、または「ソヤ(岩・岸)」に由来すると言われています。

現在は無人駅ですが、1984年までは駅員が配置されていました。かつては北ガス小樽工場に向かう専用線があり、その名残として上り線と下り線の間隔が広く取られています。


あのアイドルがCM撮影 蘭島駅

蘭島駅は1902年12月10日に開業しました。地名はアイヌ語の「ラン・オシマク・ナイ」(下り坂の後ろの川)が由来と言われています。1904年10月15日に「忍路駅」に改称、翌年蘭島に再改称されています。


この駅は、80年代のトップアイドル・南野陽子(通称ナンノ)が出演したグリコポッキーのCMに使用されました。オフの日に列車を待つナンノが、ファンの男の子に見つかり、「あれナンノじゃないか?!」との声に対し「そうだよ」と答えるストーリーでした。抽選でJRのオレンジカード(通称オレカ)が当たるキャンペーンも実施されていました。


ワインの香りが漂う 余市駅

余市は小樽に次いで山線で2番目に乗降客数が多い駅です。小樽〜余市は、輸送密度(1日あたりの旅客数)2000人台を維持しているため、余市町は同区間の鉄道存続を熱望しています。

ニッカウヰスキー余市蒸溜所が有名ですが、国から「北のフルーツ王国よいちワイン特区」として認定を受けていて、町内には数多くのワイナリーがあります。隣接する観光物産センター「エルラプラザ」では、さまざまなワインのテイスティングがOK。ほろ酔い気分になれるのも鉄道旅の醍醐味です。

エルラプラザ2階の「スキー王国余市展示ホール」には、笠谷・斉藤・船木選手など、日本中を興奮させた選手から寄贈されたスキー板やウエア、ヘルメット、優勝カップなどが多数展示されています。


リーズナブルな価格で海鮮をいただく

余市駅から徒歩約10分の場所にある「ファミリーずしガーデンハウス」の平日限定ランチは、おいしくてボリュームがあると好評です。

「まんぷくちらし」は、9種類のネタがタップリ載って990円(取材当時)と超お値打ち。サーモンのあら汁(110円 取材当時)は、具だくさんで石狩鍋のよう。遠方からもお客さんが訪れています。


ファミリーずしガーデンハウス

余市郡余市町黒川町12丁目65

0135-23-8000


フルーツの街の玄関口 仁木駅

仁木駅は1902年12月10日に開業しました。地名は徳島県から入植した仁木竹吉にちなんでいます。1984年3月31日に無人駅になりましたが、町の人たちが花壇を手入れするなど大切にされています。果実の栽培に適した気候で、大正時代にリンゴの栽培を開始したのを最初に、現在ではさまざまな果実を栽培しています。

国道5号線沿いに果物などの直売所が並んでいます。その中の一件でノースブラックという品種を試食してみると、シャインマスカットと肩を並べる甘さにビックリ! しかも価格は約4分の1と激安。思いがけず、おいしいものを発見し、得した気分になりました。


鉱山の繁栄も夢のあと 然別駅

然別駅は1902年12月10日に開業しました。地名はアイヌ語の「シ・カリ・ペツ」(自分を回す川)に由来していると言われています。1988年に洒落た山小屋風の駅に改築されましたが、周囲は民家が点在するのみ。隣接する駐輪場も草だらけです。

山線は全線単線のため、然別駅で上り列車と下り列車がすれ違います。有人時代は駅員が運転士にタブレット(通行許可)を渡していましたが、現在は信号システムで管理されています。

すぐそばには 雑草に埋もれた引き込み線があり、1972年まで貨物も扱っていました。然別駅から6㎞ほど離れた場所に大江鉱山があり、明治時代には銀や鉛、昭和初期には菱マンガン鉱が採掘されていました。当時の然別駅は大きく、街にも活気があったのでしょうね。


銀山駅は、1905年に開業しました。鉱山などから採掘された資源を輸送するために設置されたため、国道から約5㎞も離れた高地にあります。1970年に公開された映画「男はつらいよ 望郷篇」でロケに使用され、蒸気機関車の迫力ある走行シーンが撮影されました。現在は新幹線のトンネル工事が進められているなど、時の流れを感じます。


町名変更でも駅名は改称されず 小沢駅

銀山駅を出発した列車は稲穂トンネルを抜けて小沢駅に到着しました。1904年に開業した当時は小沢村で、1955年に近隣の村が合併して「共和村」になりました。なぜか「共和駅」に改称されることなく現在に至っています。

かつては岩内線(1985年7月1日廃止)の分岐駅でした。旧一番ホームでは当時の名残りを見ることができます。

跨線橋は昭和のまま。駅員が描いたらしい観光地の風景画が掲げられています。こんなにのどかな時代があったのですね。

小沢駅そばの末次商店では、1904年7月18日に開通した稲穂トンネルの完成を記念して「トンネル餅」を販売していました。しかし2022年に3代目の末次敏正さんと一緒に製造を担当していた、母親のセツ子さんが体調を崩したことをきっかけに閉店。100年以上続いた銘菓が消滅しました。

古ぼけた跨線橋と真新しいH100の組み合わせがミスマッチ。トンネル餅同様、もうすぐ、この光景を見られなくなります。


新幹線開業に浮足立つ 倶知安駅

倶知安駅は1904年10月15日に開業しました。山線を運行する列車の多くが倶知安発着となります。かつては倶知安機関区が設置され、特急北海、急行ニセコ・らいでんなどの優等列車が停車するほか、伊達紋別(室蘭本線)を結ぶ胆振線を分岐するなど、鉄道の重要拠点としての役割を担っていました。

北海道新幹線開業に向けて高架工事が進められています。倶知安町は在来線が工事の妨げになることから山線廃止の前倒しを提案しています。

鉄道の歴史を語り継ぐ ニセコ駅

倶知安から乗り換えて、目的地の一つ先のニセコで下車しました。駅前はハロウィンに向けてカボチャで彩られています。

ニセコ駅のそばには、ニセコ鉄道遺産群があり、サッポロビール園で保存されていた蒸気機関車「9643」が移設されています。

隣接する車庫にはクラウドファンディングによって保存された「ニセコエクスプレス(1988年〜2017年運行)」が納められています。イベント開催時は、屋内展示や車内見学も行われています。山線が廃止されたあとも、鉄道の歴史を雄弁に語ってくれることでしょう。


小説「駅に泊まろう」の舞台 駅の宿ひらふ(比羅夫駅)

一駅戻って本日の宿泊地がある比羅夫駅で下車しました。世界に名だたるニセコ・ヒラフスキー場の最寄り駅ですが、「ここで降りてもバスはおろかタクシーもないから倶知安まで乗っていろ」と車内アナウンスがあるほど、何もない場所です。

駅の宿ひらふ

虻田郡倶知安町比羅夫594-4

 https://hirafu-station.com/

もちろん間違って降りたのではありません。比羅夫駅自体が宿なのです。豊田巧さんの著書「駅に泊まろう」の舞台になっているほか、まっぷるトラベルガイドに小説と現実をリンクした物語「駅のホームに宿がある!? 小説『駅に泊まろう!』をたどる北海道旅」が掲載されています。(私が執筆しました)

https://www.mapple.net/original/243074/

「駅の宿ひらふ」は、1987年頃にJR北海道から初代オーナーが駅舎を借り受けて民宿を開業。「泊まれる駅」として話題を集めました。1995年に京都出身の南谷吉俊さんが宿を承継しています。

1階の事務室はエントランス、2階の保線作業員休憩所がリフォームされて客室になっています。山小屋風ベッドルーム深緑(ヴェール/定員4名)と、洋室の流星(ステラ/定員3名)のほか、ログコテージ・すーる(定員5名・トイレ付)の3タイプが用意されています。この日は本州から来た鉄道好きが宿泊していました。「ここに泊まるのが夢だった」と、少し興奮気味です。

浴室は駅舎の隣に新設されています。南谷さんが大木を堀り抜いて作った露天風呂は寝そべって浸かることができます。


見上げていると空を覆っていた雲が流れて行き、青空が見えました。今日の天候から考えると、青空が見えたことは奇跡的。奇跡は「待つ」のではなく、呼び寄せるものなのですね。

食事はプラットホームでバーベキュー(4月〜10月中旬の木・金・土・日曜のみ提供)。これぞ駅の宿の醍醐味です。


本日はジンギスカン・ホタテ・サンマ・ウインナー・エビ・タマネギ・ピーマン・なすびなどに、ソフトボール程の大きさの焼きおにぎりが二個と、デザートにブドウが付く豪華さ。列車の乗客は通学などの「常連」のため、食事をしていても驚く様子はありません。

食後は宿泊客室同士で鉄道談義を楽しみました。あたりは真っ暗で物音もしないなど深夜のような雰囲気ですが時刻は20時。ゆっくりと時間が流れています。


21時28分発の最終列車がホームに滑り込みます。比羅夫駅で降りる人は誰もいません。30秒ほど停車し、何事もなかったように列車は走り去って行きました。テールランプが見えなくなると、線路の向こうは再び漆黒に包まれるのでした。

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう