北海道・豊平館

2023年12月29日

札幌市中心部にある「中島公園」は、市民憩いの場です。日本有数の繁華街・ススキノに隣接しているにもかかわらず、23.6ヘクタールの敷地に緑が広がり、池にはカモやサギなどの水鳥が飛来します。そんな閑静な公園に「豊平館」は佇んでいます。ボランティアガイドの案内で館内を見学しました。


「おいおい、文化の香り漂う豊平館を記事にするなんて、お前らしくないじゃん」と思う人がいたら、グレートマジンガー以上にグレート。実は某サイト用に書いてたんだけど、普通に書いてもつまんねーんだわ。んでもって自分のサイトに回したというわけ。

豊平館という名前から豊平区にあると間違われることもありますが、今も昔も中央区を離れたことはありません。「北の都として豊かで平和に発展するように」と願いが込められて命名されたと言われています。←誰に?

最初は、札幌市中央区北1条西1丁目(現札幌市民ホール所在地)に建設されました。現存する木造ホテルとしては日本最古で、1964(昭和39)年に国指定重要文化財に指定されています。 


実は俺っちのオヤジは、豊平館が結婚式場だった時代に写真技師として勤務していました。子どものころ、正面の扉(現在は閉鎖)を開くと、ロビーに設置された大きな時計に迎えられた記憶が蘇りました。オヤジは同僚に誘われて市内の写真館に転職しましたが、おふくろは後々まで「豊平館にいればよかったのに」と言ってました。俺もそう思うよ。


豊平館は、開拓使直営の洋風ホテルとして1880(明治13)年に創建されました。当初は、旅行者の宿泊施設として本陣、脇本陣、本庁分局などの施設があてがわれていましたが、新たな宿泊施設の必要性が高まり、豊平館の設置が計画されました。

完成直後の1881(明治14)年8月30日から9月2日にかけて、明治天皇の北海道行幸の札幌の行在所にあてられ、華々しくスタートします。その後も大正、昭和の3代にわたって天皇家が宿泊しました。 

そのおかげで「由緒正しいホテル」とか言われてますが、経営はかなりヤバヤバだったらしいです。最高峰のホテルなので、アパホテルのように気軽に泊ることも、袴田吉彦のように不倫に利用することもできません。もともと客室が少ないうえに、天皇家なんかが泊まったら全館貸し切りにしないわけにいきませんからね。その後は市民会館、結婚式場などの経て、レンタルスペースとして利用されるなど、紆余曲折をたどっています。

当時、客室には水回りがなく、洗面所はもちろん、バス・トイレもありませんでした。天皇家が泊ったときは洗面台が設けられましたが、やはりバス・トイレはナシ。そういえば、天皇って、お付きの人に尻を拭かせてたと聞いたことがあるけど、実際のところどうだったのでしょうか?


豊平館のカーペットやカーテンは当時を再現したものですが、建材は今でも約150年前のものが使われています。白い外壁を鮮やかに縁どる群青色は、ウルトラマリン・ブルーと呼ばれています。昔は宝石として尊ばれたラピスラズリ(瑠璃)から作られた高貴な色です。年月の経過による劣化がありましたが、専門家の分析により当時の色が復元されています。

豊平館は、一度行ったら次は100年後くらいでいいかなって感じです。だって代わり映えしないからね。年間パスが販売されていますが、買う人がいるのかな? 

ま、そんなところです。

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